2009/11/12

レンジで?

頭の回転が落ちてきているのを実感するのは、話しているときだ。言いたいことと言ってることが一致しない、舌が回らない、言いたい言葉のアウトラインはあるのだが、中味が空洞でオタオタするなど。

自分のこの先、わかんないこと・できないことだらけになったら、あきらめもつきやすいし、ずいぶん気楽かもな♪と半ばウキウキしている。そう、もともと脳みそツヤツヤなんだから、無理して何年も教育受けたりしたのが、そもそもの間違いなのだ。自分は自分に戻っていくのだ。それでいいのだ♪1.2.3、それ以上は「たくさん」。それでよいのだ!

それはそれとて、ちょっとへこむときもあります。それはない。っていうことばが口から出ちゃったときはびっくりする。

昨日、ともだち宅に夕飯ケータリングして、たべるものを温めようよってことになったとき自分の口からでたのは、「あっそれ、レンジでカーン!しちゃえば」。

その後ともだちとおしゃべり中、話の流れでちょっとはげますような場面で、「そんなのさ、無理しなければいいしゃーん!」

カーン!?しゃーん!?おいおいおい。なんなんだよっどうしたのよじぶんっ!空気はちゃんと吸って吐けよ!

こういうとき、帰りの運転コワイんですよね・・・。自分の行動を自分で信用できなくなってると、ウインカー出すのさえ躊躇。ここらでそろそろ、ウインカー??タイミングおっけ?あっそんなことより車線どこだっけ?あっいま信号青だったっけ?わーわーわー

無事帰りついて、予備エネルギーで無理に働かせた脳みそを鎮静するのに、しばらくピアノを触り歌をうたう。心身ともに余すところなくくたくたになって、ようやく眠れました。んでも夜更かししちゃったから、今、眠いです・・・・・。

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2009/11/01

町内会のハロウイン

よい天気☆絶好のおまつり日和☆

地元のお母さんたちが、忙しい中一生懸命用意してくれたイベントで、子供たちがすごく楽しみにしている町内会ハロウイン!静かな住宅街のあちこちに、思い思いの仮装で出来上がった得意満面の、かわいいお化けたちが練り歩いているのが、曲がり角に見え隠れする様は、なんともいえない。クリスマスだけにしとこうや。などと思っていた自分でしたが、この町内会ハロウインを知ってから考えが変わったのでした*

地区センターで受付をし、住宅地の有志の庭先にスタンプラリー&プレゼントコーナーをしつらえ、子供たちには地図&スタンプカードを渡すのです。地区センターにも、各お宅にも、素敵な飾り付けがいっぱい。大量の輪つなぎなんて、手間暇を惜しまない創作姿勢にじいんとなります。

去年はうちもスタンプラリー宅をやりましたが、今年は仕事と重なり、練り歩きのみの参加。ちょうど本日がレッスンの日だった子供たちと親御さんと一緒に、ちょっとした仮装して練り歩きました*

いろいろプレゼントコーナーあった中で、おっアイデアだね☆と思ったのが、みかんパンプキン。みかんに、黒マジックでパンプキンのお化けの顔が落書きしてあるんです。ホラ、目が▲ ▲ の、あれですよ。ハロウインのトレードマーク。来場する子供の数だけ作ってあって(150人)、ちいさなかぼちゃオバケが並んでいるようで、すっごいかわいいかったよ。

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2009/10/26

生姜

スーパーに、採れたての生姜をめっけ、ジンジャーエールのもとを作ってみたらすごい美味しかった。作り方は簡単。興味のある方ぜひともどうぞ。

1、生姜を水で洗って、鍋にて熱湯で軽く茹で、取り出す。お湯は捨てちゃう。

2、茹でたものをおろしがねでおろし、鍋へ。茹でてあると、柔らかくておろしやすいよ!

3、生姜と同量になるかんじで、ハチミツと砂糖を加える。砂糖は精白されてないものがおすすめだけど、なんでもいいッス。

4、レモン汁かレモンそのものの輪切りを加える。レモンそのものの場合は、農薬などが表皮についてないものを選んでね。好みでミカンいれても美味しい。さらにシナモンやらクローブやらいれると大人味になります。子供向けにはノン・スパイスのがいいかも。

5、弱火でコトコト。半分くらいになるまで煮詰めるとできあがり。生姜が透明になってキレーやよー。

+炭酸でジンジャーエール。+お湯でホットジンジャー。ヨーグルトに入れても激ウマ!カレーにチャツネとして、ハンバーグの隠し味、鶏のから揚げなどの下味にも。

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2009/10/06

出来事整理

Foto00051_2 9/26 清水和音によるブラームスプロジェクトat.トッパンホール:弦楽四重奏。ピアノソロ。また四重奏。というサンドイッチ・プログラム。自身もさらっている間奏曲op.118がソロのプログラムだったのでちょっと得した気分。子供は、託児制度があったため、ホールに預かってもらって聴く。一緒に聴きたいけど、小学生になるまでは無理なのねん。本当に残念。

ギャグだったのは、入場するとき。

事前に申し込んだ際に、料金払ったと思い込んでて、帰りの食事代しか手持ちがなかった。かき集めたら\5,950。チケット代は\6,000。財布の片隅に、すごく古い50円があるにはある。すごく古いというのは・・穴が空いていないのだ。大きさは500円玉くらいだ。そのくらい年代物のコインだ。あるとき私の財布にお釣りとしてやってきて以来、ずっと使われずに、財布の中にあったものだ。これが通用するなら、きっかり\6,000になるのだが。不安そうに私の顔を見つめる息子。

Foto00031 受付のお姉さんは困惑して、時計と旧50円玉を見比べながら、支配人に聞いてまいります!とばびゅん!と走って行った。少し離れたところにいた支配人、こちらを一瞥、私は必死の思いで読唇術。「ゴジュウエンダマニハカワリナインデショ。ダイジョウブウケトリナサイ、フルクテモイイ、モンダイナイ」おおー支配人ありがとう!そういうわけで、受付のお姉さんと私はお互いホッとして笑みを交わすしたのでした。

かえりは、ホールでてからコンビニでおろした。便利な世の中ね。一昔まえなら、警察に行ってお金借りるかんじよね。

演奏は不安な個所もありつつ、最後は素晴らしかったですよ。トッパンホールっていう建物自体がすごく恐ろしい場所なんではないかと思いました。いい音はものすごーく綺麗に響くけど、ちょっとでもしくじると、如実に「あ、しくじったな」ってわかってしまう。演奏者は気が気じゃないだろうな・・・。

Foto0004 9/30 多摩テック閉園:前の記事のとおり。

10/1歯医者(ようやく行けた):治療済みの歯が痛くなって、ぬかねばならないのかー?と覚悟をきめて行ったら、化膿しただけだったらしく薬飲むだけですむということで安心する。永久歯抜くのはいやだ。よかった。

10/3 チェンバロなど古弦楽器講習会:川口(埼玉)のほうへ。個人宅に何台もの古弦楽器を所蔵するおうちがあるということで、行ってきた。実際には古い時代に作られたものを復元した、新品の古楽器。ピアノはちゃんと?古かった。新品とはいえ、古弦楽器の音色は、思ったよりもずっと豊かな響きを持ってるというか、頭フワ~となりました。チェンバロ、ヴァージナル、クラヴィコードの三種がありましたが、ものによってはシタールのような音色になるものもあり、おもしろかったです。打鍵する感触も、ピアノとは全然違います。興味のある人は、一度触るといいと思います。川口の先生いわく、国立音大(玉川上水)で触れるらしいですよ。古いピアノはフランスのエレールというメーカーのものでした。120年まえのものだって。丸っこい粒のたった音がしました。こういうのずっと触ってられるなんていいよなあ。うちの国産ワグナーのピアノは60年まえのだから、倍だね。でもそういうのいいの私は。うちのワグナーちゃんが一番かわいい☆

10/4 地元のリンゴ。農家にリンゴ狩り(写真):日野市にはたくさん農家が残っています。野菜だけでなく米も、果物もあります。初のリンゴ狩り。近所の子供たちと一緒に野山を登って歩いて、ようやく到着。広い農園を横切り、リンゴ畑に足を踏み入れて、もぎもぎ。同じ方向に3回転くらいまわして、最後にリンゴのお尻をを天に向かってぷいっとあげると、抵抗なくもげるのでした。おいしく熟しているかどうかは、お尻が緑ではなく黄色に変色しているかどうかがポイント。今は陽光。11/23に富士。富士は人気があるので、一日で終わるそうです。陽光もおいしいぞ。

10/5 作曲作業ひと段落:最近ライブはとんと御無沙汰になっているのですが、活動がまったく休止しているのかというとそんなことはなく、やれることは水面下で進んでいるのでした。キラ森うみというユニットの新曲作曲です。ジャンルや拍数にとらわれないプログレッシブな歌がまた生まれようとしています。これ読んでますか?ドラムの人?お願いしますね。あなたしか叩けないので。

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2009/09/25

かりんとうもどき

食欲の秋全開でござる。食欲減退気味だったのが、一気に開花したようなかんじ。食べたいものは、体が探してくるというか、妊婦だったときに似たような感覚を味わったのでちょっと懐かしい感覚です。ソレだけをとにかく食べたい。という突き上げる欲求です。

で、今「かりんとう」っぽいものに傾いているわけです。どうやら、硬めの小麦菓子を歯で噛み砕いていたいようです。甘さはあまりほっしていません。そんなわけで、ここ数日作っています。食べたい~作りたい~考える~作ってみる~食べる~改良する~作る~食べる。

なかなかよい循環です。

Foto0062 黒糖むしぱんミックス+卵+牛乳+そば粉、をこねて揚げた後、砂糖を水を溶かしたもので和えたらかなりかりんとうっぽいものが。

0003_3 ポンデケージョミックス+ホットケーキミックス+卵+牛乳+水+ベーキングパウダー、をこねて揚げると、ビールのつまみっぽいプレッツェルなものになった。

いろいろな形に作って揚げるとおもろいかも。と思いつき、最後の数個は丸にしてみたり、うんこにしてみたり試してみました*うふ。

あと、ホットケーキミックスに卵牛乳でタネを作り、市販のボローニャ風ソーセージを角切りにしてスプンですくってポトポト落とし揚げすると、ちびアメリカンドック的なおやつができあがる。コーンを混ぜ込んでもイケマス☆

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2009/09/12

むしキャッチ

電車に乗っていると、虫が乗り込んできて客が右往左往する光景。うちの近所は山がちなので、頻繁に目撃される光景なのだ。虫は、蛾の仲間だったり、蜂の仲間だったり、カナブンだったり、あまり人気のあるラインナップとはいえない。飛ばない虫の場合もある。クモだったり、蟻だったり、こちらも地味にして不人気なラインナップ。

客が少なければ、キャッチしようと車内を立ち動くことができる。でも、混んでたりするとはずかしいので、虫がうまいこと自分のとこにきたらキャッチしてあげられるのだが、なかなかそううまくいかない。

そういうとき、私は虫を心で凝視(はためには眺めてるくらいのかんじにフリをしている)し、(むしくん、むしくん、きこえますか。こっちへおいで、そっちじゃないよ、こっちこっち。おそとにだしてあげるから。)と念波を送っている。さりげないふりをしながら強く念じるのはけっこう高等テクで、ハッと気づくと両手が膝の上でガチガチに握りこぶしになっていたりして、あわてて緩めたりする。また、手は緩めても、ふと気付くと、息が気功やヨガの最中です、みたいな丹田呼吸みたいになってて、隣の人がいぶかしそうにしていて恥ずかしくなることもある。

念波は通じることのほうが多い。私の下車するタイミングにすーっと来て、手にとまったり、カバンにとまったりする。手でつかまえることもあるけど、スムーズに来てくれたときはとてもうれしい。通じ合ってるジャン!生き物仲間ジャン!わたしたち!みたいな。

なんでそんな念じるとか、つかまえるとか、必死になるのか。それは、大抵殺されるからだ。目の前で踏みにじられ、はたかれ、蹴飛ばされ、動かなくなるのを見るのは最悪の気分だ。見殺しにしている自分がまた最低だ。虫がきらいな人のきもちもわかる。私だって虫によってはゆうきがいるんだ。でも同じいのちじゃないか。それに、虫のほうが人間より先にいたことを忘れてはいけない。人間は虫をもっと尊敬しないと。

こないだ花火を見に相模原にでかけたとき、立ち寄ったコンビニに飛び込んできたのはアブラゼミだった。蛍光灯にゴチーン、ジュース類の冷蔵ガラス戸にガチーン、天井にコーン、壁にカーン、羽音も派手だから店内は一気に賑やかになった。超あせっているのだろう。ジジ、ジジジと洩らす声は「あ、あ、あ、どうしよ、どうしよう」と聞こえる。

雑誌を読んでるお客も、雑誌どころではない。

店員もおびえている。

ああどうしよう。セミ、殺されちゃうかも。助けたい。

しかしそのとき、店員の一人が(ギャル)「(コンビニ仲間に向かって)なによ、セミは何もしないよ、こわくないよ!人間のほうが大きいんだよ!(セミに向き直って)おいで!こっちだよこっちだよ!こっちー!!出してあげるから!死んじゃうよ!」必死に叫んでセミを目で追う。

この時点で、わたしは相当感激していたのだが、ここはひとつ私もレジ前で念じるぞ!とあ~!(せみくん、せみくん、このおねえさんはきみをたすけてくれるよ。わたしもみかただよ。ゆうきをだしてこっちおいで。)次の瞬間、セミがなんとギャルにむかってつっこんできたのだ!!

キャー!

周囲から悲鳴が!

ギャル、真正面から特攻してきたせみくんを、みごとに素手でキャッチング!超~ファインプレイ!!わたしも思わず「うおーブラボーっ!!」とシャウト!そのまませみくんは、お外に持っていかれました。

すぐ戻ってきた店員さんは頬を高揚させながら、何事もなかったかのように私のレジを打ち始めるので、私は「すてきんぐーすてきんぐー!!」と讃えたら、恥ずかしそうにしてました。飛んでるセミをキャッチする瞬間を見られるなんて、もうこの先ないかも。貴重な一瞬だった。

今は季節がら、いのちの移り変わり時期だ。路上にヨロヨロ歩いてる、死の近いカナブンやカマキリ、季節外れの蝶や蛾の幼虫など、気付いたらいそいでても、草はらに戻してやることにしている。

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2009/08/31

GOGO堀エモン

ものごとって、なんでいくらやっても終わらないんでしょう?やればやっただけ、深みにはまるようです。上達しますけど、したらしたで、やるべき課題がさらに手ぐすね引いてまってるのです。だからつまるところ、常にゼロというか、ああ今までのは下地だったのね。ああまだやっぱり下地なのね。その繰り返し、エンドレスだからやめるかどうかは、己しだいなとこがある。

城の堀の部分を組み立ててる人足な気分ですよ。程遠い。天守閣なんていけるんだろうか。長生きできますように。指と情熱、失くしませんように。

100歳まで生きるとしたら、向こう60年。今の歳の倍近く残ってる計算になる。お楽しみは、これからなのだ!やりたいことは山ほどあるんじゃ!

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2009/08/13

アカ

気性は激しいほうだと思う。思い立った時の行動の俊敏さは、我ながらほれぼれする時がある。だから、なかなか前に進めないでいる人を見ると、じれったくてショートしそうになる。いや、自分だって常に前に進んでいるわけじゃないんだ。平気で後退しているときもたくさんある。けれどね、二の足踏んでるってことはほとんどない。

進めないってのと、進まないってのはちがう。

どんなに小さなことでも大事だ。大きなことの基礎だからだ。軽んじてはならない。災い転じて福となるも、福が転覆すんのも、思いがけない一瞬の出来事だと思っている。

きょうは花火をみた。友人と遊んだ帰り道に途中下車して、橋の上で。夜風に吹かれて見る、後半30分の花火はクライマックスに向けて、ひとつひとつ石を積み上げていく。テンポといい、色彩構成といい、ほんとマッチョでロマンティストな仕事だとうっとりする。

いろいろな色が打ち上がる中で、それでも花火の性質はどうしても「赤」と感じてしまうのはなぜだろう。スタンダードなしだれ柳は赤色じゃない。でもどうしてだか赤を感じてしまう。きっと赤は生命の色なのだ。可視の色ではなくて、内面の色というか、やはり燃えてるのだ。私は身につける色としては赤は得意じゃない。青や白を好むけど、心の中は常に赤色でいたい。

それは見えない赤なのだ。赤は主張する色だ。正々堂々と主張できる日まで、赤色はずっと私にまとわりついてくるだろう。テーマカラーだ。

髪の毛、ちょい赤っぽくしてみよっと。思いついたが吉日、只今頭、ヘナカラーリング中であります。

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2009/08/10

ぼ・る・だ・り・ん・ぐ

筋肉痛。いたいいたい。

ボルダリング。人工壁に配置されたランダムな人工岩。これを登るシンプルなスポーツ。石の色が、イタリア製なかんじできれいで、楽しそうなんですよー。でも見るとやるでは大違い。もっと登りやすいジムもあるのだろうけど、いやー登れない登れない。きつい。

コツがあるらしいんですが、コツ掴む前に、腕パンパンなりました。これ以上マッチョな腕になってもいけないので、次行くときは、初心者コーチしてもらえるところをえらんで、無理のないようたしなもうと思いました。

息子もよくがんばりました。

これが高じてくると、沢登りとかロッククライミングとかになってくるのだろうけど、私は命知らずじゃないし、高いとこは苦手だからそうはなりません。

この筋肉痛でも弾けるように工夫しながら練習してみました。ピアノ。すると、腕の力を抜いて弾くコツがつかめそうな気もしましたが、やはり痛いは痛いので、あまり無理はせんとこうと思いました。

ところで昨夜の地震は揺れが長くて、少し不気味でした。息子の寝入りばなで、思わず頭を抱え込んでかばいました。東海大地震きたかと思いました。

揺れがひと段落着いてから、急いで重たいものを倒れないように工夫移動したり、ろうそくを準備したり、テレビで様子調べたりしましたが、その後何事も無くてほんとに良かったです。

そんな窮地にも、夫は居眠りしたまま。だいじょうぶかーとか、声がけすらなく、まあずうっとそうなので今更どうもこうもないのですが、頼れないでいる女はまっちょになってしまうのよね。

こうなったらボルダリングで腹の筋肉割るか。

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2009/08/01

ヒトリハダカ

だれがいてもいなくても

じぶんはじぶんだ。

服や髪で飾ったところで

燃やせば残らない。

言葉も気持ちも

だれのものでもない。

五体満足であるから

それらを惜しみなく使おう。

感覚もあるから

せいいっぱい感じよう。

生きてる時間はどのくらい残されているのかわからない。

使わないまま残飯にすることのないよう

いい血肉にして

次に渡せるよう。

細くたってひとりで立ち

コウベを垂れるほど稔るイネのように

ハダカで生きてますって胸はれるよう。

わたしには化粧は要らない。

死んだあとの顔にも無用。

タネの落ちた醜い痕を

顔の真ん中に置いて堂々と気高く

落ちたタネたちを腰を曲げていとおしく見下ろす

とうのたった向日葵みたいなおかあちゃんになりたい。

くじらでもくらげでもプランクトンでもゴミでも

丸のまま抱いてやまないようなひとになりたい。

岩を削り津波をおこしても

月に従順なしなやかさを持合せて。

なれるかどうかはやってみなくちゃわからない。

色々な事を軽んじて生きていくのに比べたら

孤軍だろうと奮闘していたい。

汗かく根性のない奴は

口をあけて待っていろ。

いつか私が牡丹餅を

食いきれないほどねじ込んでやる。

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2009/07/19

かたい

硬い(やわらかい) 堅い(もろい) 固い(ゆるい) 

こころがかたくなってる。というときは、硬い。

決意などがかたまってる。というときは固い。

信用できる状態のことを、堅い。

柔らかくなりたいな。

ゆるくもなりたいな。

ふたつともできたら、堅くなれるな。

柔よく剛を制す。

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2009/07/10

ポンヌフの・・・

00350031JR新橋駅の高架下にある立ち食いそばうどんスタンド。なんでポンヌフ?

小さい「ッ」 が入って、本場な発音を要求されているため、これを見た多くの人は、通り過ぎながら幾度となく(ぽんぬっふ。)(ぽんぬふ。ぽんぬっふ。)などと頭で発音の差を確かめていることだろう。

映画ポンヌフの恋人を思い出してみるが、いまひとつ繋がらない。うーんうーん。橋?高架下だから?

あの映画自体もじつはよくわからなかった記憶がある。今見たら印象違うんだろうか?あまり明るい映画じゃなかったので、もう一度見たい気分になることはそうそうないと思うけれど。昭和のごちゃごちゃした匂いと映画の暗さが少し通じるといえば通じるかもしれないけど・・・。

店主に「よ~し、ポンヌッフでいくぞ!」と決意のボタンを押させたものは、なんだったのでしょう???

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2009/06/29

気配と物音

家の中、外、どこにいても、自分の視界じゃないところから音がすると、心臓にくる。どきっ。どこからの音?だれの音?なんの音?一気に心拍数があがり、必死で耳に残った音を脳内にリバースし、音に込められた情報を解読する。脳細胞総動員だ。

そうしている間、当たり前だけど身動き一つできない。だって脳みそ全部使ってるから。まばたきすらできない。呼吸も止めている。それくらい脅かされる。戦争の映画などで、兵隊さんがひとり生き残って、なんとか隠れてるものの、周りは敵兵だらけで、見つからないかどうかの瀬戸際で必死に息を殺してる、あのかんじだ。

だいたいの音は、数十秒ほどのあいだに、原因をつきとめたり納得できたりして、安心して終わる。問題は解決のつかない得体の知れない音だった場合だ。音の発信源や音の提供者までは突き止められても、その音を発する理由がわからなかいとき。その音がなにから生じているかは見当がついても、なぜそれからそんな音が生じるのか理解不能な場合。なんの音かわかってはいても、不愉快な気持ち悪い音のとき。

そのような音には、気配が無いのだ。

それがこわい。

いや、無いということはないのだろう。あるにはあるのだろうけど、私の中の辞書に載ってないのだ。その気配について。世の中にはいろいろな価値観があるから、私の価値観なんてちっぽけな小石、砂粒みたいなもんではあるだろうけど。

そんな価値観をふりかざさせてもらえば、「気配」というのは「生きてる証拠」だと思っている。気配のない、というのは、生命感のない。ということになる。生きてないのに音がする。そこが理解できないみたいだ。生きてないのに音がするなんて、ゾンビか幽霊かじゃん!ぞぞぞぞぞ。みたいなところなんだろうか。

いつもこうやって、記事を書きながら自分を整理している。

気配に飢えているなあ。

気配って大切だと思います。

ここちよい気配に包まれているときの安堵感やしあわせな気分ったらないもの。

たとえば今降っている雨のひとつぶひとつぶだって、気配に満ち溢れた物音なのです。開けた窓から入るでも入らないでもない、しずかなおしゃべり、しずかな足音。雨はそういう気配を誰よりも知ってて、そうっとそうっと、私たちを包んでくれている。ミルクティーのように、毛布のように、赤ん坊の涙の痕のように。そうして、ゾンビの音も、切り立った私の心も、柔らかいものに中和してくれるのだ。

気配はいのちだ。

いのちは繋がっている。

繰り返し、繰り返し。

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2009/06/23

囂囂

0005 ごうごう。

空気が騒がしい。

夕焼けがものものしい。

夕食後、無性にアイスが食べたくなって、コンビニいったら、何年も0008 住んでて初めてなくらい、駐車マナーがぐちゃぐちゃ。何がしたいのさっていうくらい、疎通ができてない。駐車場周りの道路やら、歩道やらにはじっこにも寄せずにダーンと停めてる車が数台。いつもは、とってもマナーのよいコンビニ駐車場なのに。

なんだようと思いながら店内入ったら、これまたなんでよっていうくらい混んでた。しかも客層が偏ってて、父子連れと身障者で7割がた占められていた。そこはかとなく暗く、重たい熱気と活気。店員さんもなんじゃこれはっていう顔してた。

0004 コレと似たような雰囲気を、体験したことがある。ざわざわざわ。昔の記憶がよみがえってきた。私が子供だったころの、遠足の前の日、地元の小さなスーパーの雰囲気だ。学校で定められた、おやつ費用300円を親にもらい、大切に握り締めて、緊張気味にお菓子コーナーを凝視してる子供たち。うれしさと緊張。一人でお買い物なんて、ちょっと大人の仲間入りしてる自分を持て余した照れと、明日への期待。ぼこぼこしたエネルギーが店内に蔓延して、異様な熱気が生じているのだった。そんな日に、スーパーに入っている魚屋さんの前を通ると、横たわっている硬そうな巨大な頭と、大きな目玉が、いやましてリアルに光って見えるのだった。

今夜は新月、真っ暗な夜。

ホホホー♪

アイスがとまらない。蒸し暑い夜に食べるアイスは、最高にウマイ。

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2009/06/20

大きくても小さくても 長くても短くても、

分厚くても薄くても 柔らかくても硬くても、

熱くても冷たくても 黒くても白くても、

手は物語る。

物語ってる手はいとおしい。

その人の年齢、性別、性格、環境、

一つとしてダブることのない営みが手を作っていく。

生まれたての赤ん坊の、まだ何も握りつぶしていない手

まだ誰とも繋がったことのない手

誰でもみんなそこから始まる

いろんなものを握りしめ、握りつぶし、

繋いでは手放し 作っては壊して。

さっきサヨナラした、子供たちの小さなてのひらも

そうして大きくなってゆく。

あどけない掌と、れんげの茎のような頼りない腕が

いつしかやがて、物語るようになっていくのだ。

バイバイ!バイバイ!

そうして明日を守っていくのだ。

さあて

私の手は物語れているだろうか?

 

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2009/06/16

基準

ふらふらして定まらないときと、頑として動かないとき。そのどちらでもない状態というのはどこにあるのだろう。簡単に安定なんていってるけど、安らかに定まってることなんてひとつもない。何を持って安らかとするか。絶えず動いていることだと思う。止まっていては安定ではなく死だ。絶えず絶えず絶えず、そこに位置するために必死こいてバタ足してる幸福感。生きてる充実感。安定とは、過酷なものではないのだろうか。

普段目にする、頭におなじみの安定は、借り物みたいな軽い存在感。自分の死角で、誰かが代わりに請け負ってくれてなんとかなってることに気づけない安定には根っこがない。実感の伴わない現実は味気ない。なんとかなってしまう。なんとかしてしまえる。それでほんとにいいのだろうか。

なんとか。の中味は、借り物の安定で満タンだ。もう縫い目がぷつっと音を立てて、ほつれ始めている。無理に無理を重ねたって、無理は無理なのだ。自分の中の基準は、そういうときに意味を持つ。どんなに揺れたって、どんなに盗まれそうになったって、心の片隅で、性懲りもなくへばりついていることだろう。

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2009/06/10

刹那

刹那覚えずといへども

これを運びて止まざれば

命を終ふる期

たちまちに至る。

(徒然草:第108段)

ふらっとめくった雑誌に載っていた。

すごく思い悩んだとき

どうしていいかわからない気持ちのとき

入り口も出口も見失ったとき

「この一瞬一瞬が重なればいずれ死ぬときに至るのだから、今早まる必要はない。

生きることを許されている間は、謳歌しなければ。

どうすれば謳歌できるか?」

そうやって生きてた。

でもちょっと浅かった。

兼好法師は「刹那を運びて止まざれば」と言う。

「刹那に運ばれて」、ではない。

時間の大海原に生かされているけれど、今々を踏みしめて生きていくのは自分だ。

刹那は、指を弾く一瞬のなかに、65個入ってるというくらい、小さな時間の単位なんだそうな。でも、ゼロじゃない以上、確実に溜まっていってやがては時の終わりに行き着く。日頃意識しなくても、時は確実に過ぎていて、元には戻らない。それがある日振り向いたら、人生になっている。

人間には、時間を作ったり、動かしたりすることはできない。大海原を支配することはできない。

確実に過ぎる時に、身を任せるのでは、いたずらに時間を過ごすだけ。自分で自分を動かすのだ。一瞬一瞬を作るのだ。

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2009/06/08

イマジン

パソコンの調子がいよいよおかしい。しばらく更新がとだえたら、ああ、だめになったのね♪と思ってください。

身の回りにいる独身の友人何人かに

『誰かとつきあうにあたって、どんなことが重要?』

と訊ねてみた。

『金銭感覚』『歯の色』『生理的にうけつけない容姿じゃなければ可』『匂い』

などなど、いろいろ挙がったなかに、『想像力』って言った人がいた。

知り合いに、フィリピンのスモーキーマウンテンや、韓国や北方領土など、社会問題の焦点となるような地域に行って、写真や映像をとる人がいるのだが、その人のフィルムの中で、その人自身が現地のテレビ局取材班にカメラを向けられてインタビューされている映像があったのを思い出した。

「どうしてこのような問題がなくならないのだと思いますか?」

という問いに対し、彼はこう答えたのだ。

「想像力の欠如だと思います。」

「どういうことですか?」

「想像力って、相手の身になって考える、大切な力だと思うんです。遠い国のできごと、ああ俺には関係ない。ではなく、それが目の前で起こっているのだとか、自分だったらどうだろうとか、家族の身に起こっているとしたらとか想像する。よいことをするのも、ひどいことをするのも、人間同士。相手を思いやれる心がみんなにちょっとずつ芽生えたら、ひどいことはできないはず・・・。」

カメラマンの友人は、テレビの向こうで柔軟に語り続けていた。

相手の喜ぶ顔がみたくて、がんばれる。相手がなにを欲しがっているのかを一生懸命考える。相手の痛みを知ろうとする。声なき声を聞く。

想像力。ほとんどの人にある、身近な力。

どこまでほんとうに相手の身になって考えられるかは個人個人の能力によると思うけど、どうせわからないからとか、答えのないことだからとか、あきらめてはいけない。相手を思いやる気持ちがなければ、自分が存在する意味も薄れてしまう気がする。

想像力は、未来を生きるための原動力なんじゃないだろうか。

そしてふと思ったけど、想像と空想は違うのだろうか?

なんとなくのイメージとして、想像は他人に自分を絡ませてみるかんじ、空想は自分を解放するようなかんじがする。

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2009/06/04

はりきゅう

友人のすすめで、とあるはりきゅうクリニックへ行ってみました。

日本家屋の情緒漂う、新築平屋の一軒や。

広い待合室、広い治療室、広いトイレ。

ピアノや弦楽のクラシックCDが、丁寧な音質・音量で部屋を循環していました。

カウンセリングのような問診。

温度の通った施術。

オランウータンが頭をかきながら人間になってみました。というかんじのする先生。

敏感なのか、鈍感なのか、全ての応対がミクロの計算ずくなのかわからないけど、この際こまかいことはかんがえないで、今は全部この人にゆだねてみよう。自分がそんなふうに思えたのがとても貴重だったと、今になって気づきました。

気持ちが軽くなったのは、先生に心を開くことができたせいだろう。

なんか蓋開いた・・・のかもしれないっす。

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2009/05/23

む〜ぶ

ぺしゃんこにしようとする力と支えようとする力。互角に組み合って、双方力尽きて輪郭が崩れ、アメーバになる。台風が熱帯低気圧に変わる瞬間はこういうかんじなのかしら。

暑い日射しに酔っぱらっているみたいだ。

電車の中は、まばらな見知らぬ人が思い思いに傾いて止まっている。車内は生ぬるくて、まるで熱の取れ切らない透明の塩羊羮だ。
自分も人も、各々一粒の黒豆になって、視界の悪い寒天が柔らかく固まっていくのに身を任せている。

自分には行かなければいけない用事がある。降りなければいけない駅がある。寒天は拒みも追いもしない。毎日毎日の些細な葛藤の殆んどは、つらくきびしいものじゃなく、気持ち次第で動ける簡単なことの連続だと思う。

寒天の中は、窒息するほど固まらず生温かくて、脱け出しがたい。

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2009/05/22

天国

朝ごはん食べながら子供5歳♂と話してたら、こんなこと言い出した。

こども「てんごくってあるのかなあ」

私「え?」

こども「ほんとにあるの?」

私「あると思えばあるし、ないと思えばないのさ。きみはどう思う?」

こども「ぼくはないと思うよー」

私「え???」

こども「地球儀にのってなかったと思うもん。ある?地球儀にある?見せて?教えて?」

私「地球儀にはのってない国なんだもん、地面のうえにある国じゃないいんだよ、お空にあるんだよ。お空の向こうのほうにあるんだもん。たぶん神様や仏様もいるとこなんだよ」

こども「うちゅうまでいく?」

私「あーいくかも。宇宙の中かも。わかんないけど。でも、君もそこから来たんでしょ?」

こども「おかあちゃんもね。ぼく、ほんとはどこにあるか知ってるよ、紙芝居で見たもん。くまさんの紙芝居で、てんごくはなーんでもあるんだって」

私「なにがあるの?」

こども「あのね牛乳瓶がいっぱいあんの。くまさんが言ってたよ。牛さんも12匹いるんだよ。牛乳いれる入れものも12個あって、牛乳瓶も12個そろってるんだけどもっとあって、あといろいろなんでも12個ぜーんぶあるんだって。」

そうか。じゃあ、てんごくはあるんじゃないか、息子よ。ないと思うなんて言っといてディテール細かいぞ。でも、牛乳嫌いなひとはどうしましょう。

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