2009/09/03

どろん

マナーは大事だ。

私も人から見たらどのくらいできてるかわからないけど、気を付けるように心がけてる。

誰しもそうだと思う。まったく気を付けてない人なんてそうそういないと思う。
気を付けてはいるんだけど、自分には見えてない至らない部分があって、それが何かの拍子で人の気にさわるのだと思う。

完璧な人間はいないのだから、失敗も失礼もお互い様よね。私はわざとじゃなければ、人に迷惑をかけるのは必ずしも悪いことばかりではないと思っている。

みんなが誰かに迷惑かけないように、なんてやってたら、人に触れるのに臆病になりすぎて、人間づきあいは成り立たなくなる。

大切なのは、相手が不愉快そうだぞ、と気付いたときではないだろか。
相手が嫌だと感じたことに対する礼儀が必要だ。

自分の言わんとしてるところが通じないお前が悪い。などと言っても、相手は自分の所有物じゃあるまいし、そんな自分王国の王様には誰も所有されたかないのだ。

自分の非を認めず、相手に対する礼儀もなく、自分を曲げずにふんぞり返り、挙げ句面倒臭くなってどろん。

こうゆうの、ネットやメールでのやりとりでよくあるんです。

直接顔合わせてのつきあいだったら、どうなんだって言いたくなる。

人は鏡。自分も注意しろということだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/06/29

気配と物音

家の中、外、どこにいても、自分の視界じゃないところから音がすると、心臓にくる。どきっ。どこからの音?だれの音?なんの音?一気に心拍数があがり、必死で耳に残った音を脳内にリバースし、音に込められた情報を解読する。脳細胞総動員だ。

そうしている間、当たり前だけど身動き一つできない。だって脳みそ全部使ってるから。まばたきすらできない。呼吸も止めている。それくらい脅かされる。戦争の映画などで、兵隊さんがひとり生き残って、なんとか隠れてるものの、周りは敵兵だらけで、見つからないかどうかの瀬戸際で必死に息を殺してる、あのかんじだ。

だいたいの音は、数十秒ほどのあいだに、原因をつきとめたり納得できたりして、安心して終わる。問題は解決のつかない得体の知れない音だった場合だ。音の発信源や音の提供者までは突き止められても、その音を発する理由がわからなかいとき。その音がなにから生じているかは見当がついても、なぜそれからそんな音が生じるのか理解不能な場合。なんの音かわかってはいても、不愉快な気持ち悪い音のとき。

そのような音には、気配が無いのだ。

それがこわい。

いや、無いということはないのだろう。あるにはあるのだろうけど、私の中の辞書に載ってないのだ。その気配について。世の中にはいろいろな価値観があるから、私の価値観なんてちっぽけな小石、砂粒みたいなもんではあるだろうけど。

そんな価値観をふりかざさせてもらえば、「気配」というのは「生きてる証拠」だと思っている。気配のない、というのは、生命感のない。ということになる。生きてないのに音がする。そこが理解できないみたいだ。生きてないのに音がするなんて、ゾンビか幽霊かじゃん!ぞぞぞぞぞ。みたいなところなんだろうか。

いつもこうやって、記事を書きながら自分を整理している。

気配に飢えているなあ。

気配って大切だと思います。

ここちよい気配に包まれているときの安堵感やしあわせな気分ったらないもの。

たとえば今降っている雨のひとつぶひとつぶだって、気配に満ち溢れた物音なのです。開けた窓から入るでも入らないでもない、しずかなおしゃべり、しずかな足音。雨はそういう気配を誰よりも知ってて、そうっとそうっと、私たちを包んでくれている。ミルクティーのように、毛布のように、赤ん坊の涙の痕のように。そうして、ゾンビの音も、切り立った私の心も、柔らかいものに中和してくれるのだ。

気配はいのちだ。

いのちは繋がっている。

繰り返し、繰り返し。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/06/16

基準

ふらふらして定まらないときと、頑として動かないとき。そのどちらでもない状態というのはどこにあるのだろう。簡単に安定なんていってるけど、安らかに定まってることなんてひとつもない。何を持って安らかとするか。絶えず動いていることだと思う。止まっていては安定ではなく死だ。絶えず絶えず絶えず、そこに位置するために必死こいてバタ足してる幸福感。生きてる充実感。安定とは、過酷なものではないのだろうか。

普段目にする、頭におなじみの安定は、借り物みたいな軽い存在感。自分の死角で、誰かが代わりに請け負ってくれてなんとかなってることに気づけない安定には根っこがない。実感の伴わない現実は味気ない。なんとかなってしまう。なんとかしてしまえる。それでほんとにいいのだろうか。

なんとか。の中味は、借り物の安定で満タンだ。もう縫い目がぷつっと音を立てて、ほつれ始めている。無理に無理を重ねたって、無理は無理なのだ。自分の中の基準は、そういうときに意味を持つ。どんなに揺れたって、どんなに盗まれそうになったって、心の片隅で、性懲りもなくへばりついていることだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/05/25

だーっ!

サクラ色は、いちんちで終わりのようです。よくわかりません。

思春期でもあるまいし、更年期でもあるまいし。

・・・・・いやまてよ。思春期で更年期なのか???

| | コメント (0) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

| | |