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2009年6月

2009/06/29

気配と物音

家の中、外、どこにいても、自分の視界じゃないところから音がすると、心臓にくる。どきっ。どこからの音?だれの音?なんの音?一気に心拍数があがり、必死で耳に残った音を脳内にリバースし、音に込められた情報を解読する。脳細胞総動員だ。

そうしている間、当たり前だけど身動き一つできない。だって脳みそ全部使ってるから。まばたきすらできない。呼吸も止めている。それくらい脅かされる。戦争の映画などで、兵隊さんがひとり生き残って、なんとか隠れてるものの、周りは敵兵だらけで、見つからないかどうかの瀬戸際で必死に息を殺してる、あのかんじだ。

だいたいの音は、数十秒ほどのあいだに、原因をつきとめたり納得できたりして、安心して終わる。問題は解決のつかない得体の知れない音だった場合だ。音の発信源や音の提供者までは突き止められても、その音を発する理由がわからなかいとき。その音がなにから生じているかは見当がついても、なぜそれからそんな音が生じるのか理解不能な場合。なんの音かわかってはいても、不愉快な気持ち悪い音のとき。

そのような音には、気配が無いのだ。

それがこわい。

いや、無いということはないのだろう。あるにはあるのだろうけど、私の中の辞書に載ってないのだ。その気配について。世の中にはいろいろな価値観があるから、私の価値観なんてちっぽけな小石、砂粒みたいなもんではあるだろうけど。

そんな価値観をふりかざさせてもらえば、「気配」というのは「生きてる証拠」だと思っている。気配のない、というのは、生命感のない。ということになる。生きてないのに音がする。そこが理解できないみたいだ。生きてないのに音がするなんて、ゾンビか幽霊かじゃん!ぞぞぞぞぞ。みたいなところなんだろうか。

いつもこうやって、記事を書きながら自分を整理している。

気配に飢えているなあ。

気配って大切だと思います。

ここちよい気配に包まれているときの安堵感やしあわせな気分ったらないもの。

たとえば今降っている雨のひとつぶひとつぶだって、気配に満ち溢れた物音なのです。開けた窓から入るでも入らないでもない、しずかなおしゃべり、しずかな足音。雨はそういう気配を誰よりも知ってて、そうっとそうっと、私たちを包んでくれている。ミルクティーのように、毛布のように、赤ん坊の涙の痕のように。そうして、ゾンビの音も、切り立った私の心も、柔らかいものに中和してくれるのだ。

気配はいのちだ。

いのちは繋がっている。

繰り返し、繰り返し。

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2009/06/28

なつのはじまり展・at.吉祥寺re:tail

『なつのはじまり展』~6/29

ギャラリー・吉祥寺re:tail なかみち商店街を、駅から離れる方向に果てしなくゆくと、やがて左手に広場、右手にはらドーナツ、その先にもひとつ公園、そして・・・目に飛び込んでくるツタのからまった雰囲気あるアパートの一階です。

0032 友人作家による作品展に行きました。

イラストと服飾、やきものの展示です。結婚して子供育てながら物を作り続ける、貴重な心強い仲間です。自由になる時間が少ない(ないともいう)なかで、アイデアを次々に形にしていくのはとても力のいることです。愛情もね。力と愛情を持ち続けられるのも、才能のうちです。

ギャラリーまではかなり歩きました。

途中にでてきた広場にはシロツメクサがいっぱい。ドーナツは味もよかったけど、看板や壁の絵がかわゆい!

0030 0031写真だと広く見えるけど、そこまで広くはありません。

かけっこよーいどん!

あたくしも子供の相手という名目で、ガー走りまくりました。爽快♪

0034 0035 てづくり感溢れる絵*

粉の味、素材の味が際立っていて食べごたえあります。一個食べたら結構おなかいっぱいに。

きなこかかったり、チョコかかったり、種類は豊富のようですが、作るつど売れていくので、選べませんでした。あるものを買った。きなこ、さとうきび、シナモンの三個。

0033

やっとこさ到着!

夏ということで、レース模様だったり、おばけの絵だったり、麻素材だったり、三者三様の愛らしい涼しげな演出でした。和やか・・・。

ワンピースを買うことに。見本のように、服を着ていたやきもの作家のnakoさんと仲良しショットしてみました*

0036 着るとなんとも、優しいきもちになれます*

これは7/20にピアノ弾くとき用です・・・☆だってだってブラームス弾くだもーん*天国のブラームスに聴いてもらうんだもーん*そう考えただけでもうドキドキなんだもーん*オトメ気分いっぱいなんだもーん*だもーんだもーん*ふふふーん♪

帰りは、イラストレータのomitment一家と、広島焼がっつり食べて帰宅しました。幸せな一日だった・・・*

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2009/06/27

雨に唄えば~絵画教室ぶうふうう~展

0013_2 座間市ハーモニーホール1階ろびーにて、明日まで開催。最寄り駅、小田急線相武台前駅。バス1番乗り場から、市役所停留所で下車、2分。

11:00-18:00,最終日17:00。

いのちのメッセージ展発起人の鈴木共子さん主催の、絵画教室発表会。子供の作品が主で、ちらほら大人の作品も。明るいカラフルな雨の展覧会でした。かさ、あめ、みずたまり、かたつむり、いろいろな雨の仲間が大集合。

来場者も、用意してあるビニル傘に、ペンやシールなどで思い思いに飾り付けて参加できるということで、作る気まんまんで行って0007 0009

まいりました*いろんな水たまり・・・バウムクーヘンやら目玉焼きやら、ぴあのやら・・・・。その子なりの思いや音が映っているのかもしれません。紙粘土でつくった蛇と豚とかも無造作においてあって、地面なんだよってことですね。あーのうみそのしわがのびてゆく~。

0010_3大人と子供の合作。複数で描く雨。

絵の具だけじゃなく、薄い発布スチロールの上に絵を貼り付けたコラージュ的手法も使われておりました。

0011_2 空のちょうちんで目玉オヤジ!

0022 さあ、傘をつくるぞ~。

風船も落書きしたりお絵かきしたりして傘にくっつけてしまえっ☆

うりのお化けが毒瓜みたいな水玉ふうせんを握っております。

傘のトップ。

0026_2 さあ開いてみよう*

0028_4 ぱっ☆

0029

うん、いいかんじ♪

いのちのメッセージ展詳しくは、左帯のHP紹介コーナーからとべま~す。このキラキラ感。

誰もつぶらないのちのきらきらです。

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2009/06/25

pino期間限定抹茶ミルク味

去年はマンゴー味が出て、すっごい美味しくて記事書きました。

今年は、抹茶ミルクなるものが出ています。

こないだの新月の晩に買い、翌朝がまんできずに食べました。

起きぬけ朝一というのに、劇的な美味しさが、舌から耳に冴え渡りました。

おすすめです。

お近くのお店で見つけたら、ぜひおためしを☆

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2009/06/23

囂囂

0005 ごうごう。

空気が騒がしい。

夕焼けがものものしい。

夕食後、無性にアイスが食べたくなって、コンビニいったら、何年も0008 住んでて初めてなくらい、駐車マナーがぐちゃぐちゃ。何がしたいのさっていうくらい、疎通ができてない。駐車場周りの道路やら、歩道やらにはじっこにも寄せずにダーンと停めてる車が数台。いつもは、とってもマナーのよいコンビニ駐車場なのに。

なんだようと思いながら店内入ったら、これまたなんでよっていうくらい混んでた。しかも客層が偏ってて、父子連れと身障者で7割がた占められていた。そこはかとなく暗く、重たい熱気と活気。店員さんもなんじゃこれはっていう顔してた。

0004 コレと似たような雰囲気を、体験したことがある。ざわざわざわ。昔の記憶がよみがえってきた。私が子供だったころの、遠足の前の日、地元の小さなスーパーの雰囲気だ。学校で定められた、おやつ費用300円を親にもらい、大切に握り締めて、緊張気味にお菓子コーナーを凝視してる子供たち。うれしさと緊張。一人でお買い物なんて、ちょっと大人の仲間入りしてる自分を持て余した照れと、明日への期待。ぼこぼこしたエネルギーが店内に蔓延して、異様な熱気が生じているのだった。そんな日に、スーパーに入っている魚屋さんの前を通ると、横たわっている硬そうな巨大な頭と、大きな目玉が、いやましてリアルに光って見えるのだった。

今夜は新月、真っ暗な夜。

ホホホー♪

アイスがとまらない。蒸し暑い夜に食べるアイスは、最高にウマイ。

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2009/06/22

ああもう!

今日目覚めてすぐ、はずみでふらっと目に入った、日野原先生(すっごいおじいちゃんのお医者さん)の言葉ふたつ。

『創める(はじめる)ことを忘れなければ、人は老いません。』

創る(つくる)は、創める(はじめる)とも読むのか。とはっとした。

『今日一日を精一杯、激しく生きようではありませんか。』

精一杯。まではよく聞くけど、激しくってのは、しかもおじいちゃんから出てくる言葉だとは。ううん。

朝食後、友人が書いた小説を読んでいて心に響いた、主人公の一言。

『生きていくとは切ないものだ。けれどそうやって、切なければ切ないほど深く生きられる。それはなかなか悪くない生き方だと私は思う。』

まあね。まあね。まあね。と、心中ぼそぼそと呟く。

夕方、クラシックを題材にしたバンドの練習を、半年ぶりくらいやるつもりで公共施設を予約して集まったのに、勝手にキャンセル扱いにされていて出来なかった。これは、私の連絡不足も一因してるのだけど、確認連絡もなく勝手にキャンセルとは、説明不足もいいとこだ。お役所はこれだから困る、という言い方はすきじゃないけど、私は責任ありません的な物腰と、あからさまに上からの物言いには、閉口した。こういうタイプは苦手中の苦手だ。

予定を空けていたバンドの人たちにも申し訳ないし、久々の音出しだー♪と楽しみにしていた心の風穴、またリハの音を楽しみにしてついてきた息子のしょんぼりした気持ちなど、ひっくるめて、チキショーチキショーな数時間を過ごした。

自分はへこたれ癖があるので、「だめだ」という方の限界(マイ・ワースト)は、なるべく考えないよう心がけていた。でも、「これでいいや」(マイ・ベスト)という考えも同じくらい危ういのだと思った。

夜、ピアノ練習。最近はじめた、ミクシイのつながりで、ベーゼンドルファーというピアノメーカーのグランドを弾く企画があり、応募してみたら参加できることになったのだ。最初、ベートーベンをガツーンといくぞ。と思っていたのですが、ピアノの特徴をネットで調べたら、弱い音がとてもきれいなピアノだということがわかった。それで、勇気を出して、ブラームスの間奏曲にした。あと自分の書いた曲、あわせて二曲。人生初の、『人前でキレイな曲弾く体験』です。

持ち時間は挨拶込み10分。ストップヲッチかけながら、何回も弾く。楽しい。興が乗って、アベマリア合唱曲集を弾き語り。まともなソプラノの声は、そんな簡単には出ないものなんだと知り、何度も挑戦。できないながら、こちらも楽しかった。

私の今日は果たして日野原先生から見て、、精一杯激しく生きられてるだろうか?

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2009/06/20

大きくても小さくても 長くても短くても、

分厚くても薄くても 柔らかくても硬くても、

熱くても冷たくても 黒くても白くても、

手は物語る。

物語ってる手はいとおしい。

その人の年齢、性別、性格、環境、

一つとしてダブることのない営みが手を作っていく。

生まれたての赤ん坊の、まだ何も握りつぶしていない手

まだ誰とも繋がったことのない手

誰でもみんなそこから始まる

いろんなものを握りしめ、握りつぶし、

繋いでは手放し 作っては壊して。

さっきサヨナラした、子供たちの小さなてのひらも

そうして大きくなってゆく。

あどけない掌と、れんげの茎のような頼りない腕が

いつしかやがて、物語るようになっていくのだ。

バイバイ!バイバイ!

そうして明日を守っていくのだ。

さあて

私の手は物語れているだろうか?

 

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2009/06/18

なつのはじまり展 6/24~6/29 at.gallery re:tail /吉祥寺

Img869ea96dzik9zj このブログ左帯の、おすすめHP&ブログに「きらきら、みーつけた」で、紹介している友人(イラストレーター)が、仲の良い作家同士で三人展を開催します。

なつのはじまり展6/24~6/29(12:00-19:00)

イラスト:omitment 子供・大人服:pepino 陶芸:nako

夏をテーマにしたファンシーな世界が広がります*子供連れでいくと、子供がよろこびそーです*

garllery re:tail(吉祥寺) 0422-26-9874 吉祥寺本町3-12-9 潤マンション103

吉祥寺っていいお店たくさんあるし、緑もたくさんあって、個人的に大好きな街です*お散歩がてら、ぜひぜひぷらっとおでかけください♪

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2009/06/16

基準

ふらふらして定まらないときと、頑として動かないとき。そのどちらでもない状態というのはどこにあるのだろう。簡単に安定なんていってるけど、安らかに定まってることなんてひとつもない。何を持って安らかとするか。絶えず動いていることだと思う。止まっていては安定ではなく死だ。絶えず絶えず絶えず、そこに位置するために必死こいてバタ足してる幸福感。生きてる充実感。安定とは、過酷なものではないのだろうか。

普段目にする、頭におなじみの安定は、借り物みたいな軽い存在感。自分の死角で、誰かが代わりに請け負ってくれてなんとかなってることに気づけない安定には根っこがない。実感の伴わない現実は味気ない。なんとかなってしまう。なんとかしてしまえる。それでほんとにいいのだろうか。

なんとか。の中味は、借り物の安定で満タンだ。もう縫い目がぷつっと音を立てて、ほつれ始めている。無理に無理を重ねたって、無理は無理なのだ。自分の中の基準は、そういうときに意味を持つ。どんなに揺れたって、どんなに盗まれそうになったって、心の片隅で、性懲りもなくへばりついていることだろう。

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2009/06/14

ぜったい毒キノコ

0002_2色合いがお手本すぎて、思わず、ウフフ♪
なんでこんなもろいものが、固い土を突き破って出てくるんだろう。草木の発芽もそうだけど、ふしぎ。身の回りはふしぎなことだらけで成り立ってる。

私もキノコになってみたい。

ところで、先日から受け始めたはり治療が効いているのか、23時前になると、急に電池が切れたかのように眠気が襲い、次に気づいたときには朝4時前という事態が起きている。すごい。実はもう、ここ何ヶ月もずうっと4時に少しうとうとしたかと思うと6時前には起きてるという、目茶苦茶な睡眠形態だったのだ。眠るっていいことなのね。大事なのね。気持ちと体が緩んでくれてる気がする。行動するには体力気力が必要だからね。

んー今日はもうすでに眠気がきている。すごいなあ。夢のようだ。

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2009/06/12

スロラナライブ(渋谷HOME)

スロラナのライブを見に行きました。これが二回目です。

そしたら、これでしばらく、二年くらいやらないそうです。

二年どころか、もうやらない可能性もあるらしいのです。

そんなこと、全国のスロラナファンが許さないと思いますが。

さておき、前回の場所より数段音響がよく、聞きやすかった。ベースとドラムが全体に比して小さいので、前回のような大音量を覚悟していた耳にとっては、物足りない部分もありましたが、それは前回が基準になっているため、単に感覚が麻痺しているだけのことです。ボーカルの声もよく聴こえて、おかげでどういう歌詞なのかがわかりながら聞けました。

視覚は不思議だ。ゆがんでないものがゆがんで見えたり、速いものがスローモーにみえたりする。私はオレンジジュースしか飲んでない。酔っ払ってるわけではない。

音楽に曲げられているのだ。

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2009/06/11

縄文人と弥生人

はじめ日本にいたのは縄文人だった。

狩猟民族で、毛穴の匂い立つような濃ゆいたぬき顔。ぐるぐると捏ね回した分厚い土器を焼き、その日暮らしの熱いひとたちだった(らしい)。

そこへ流れ着いて乗り込んできたのが弥生人。近畿地方からのりこんできたといわれる。さっぱりとした瓜実顔。狩猟などという憶測のたたない野蛮な基ではなく、農耕作を基とした計算高い性質。土器もそれにふさわしく、薄い洗練された模様で焼き上げた。

縄文人は弥生人に追い立てられ滅ぼされ、北へ、南へ、追い詰められていく。北チームがアイヌに、南チームがクマソや琉球として残った(らしい)。

というわけで、縄文人は分が悪い。数も少ない。日本のほとんどは、弥生人でうめつくされている(らしい)。さらにわるいことに、縄文人は弥生人に憧れているらしい。滅ぼされたくせに、その洗練されたかんじに弱いらしいのだ。まったくやれやれだあよ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あなたは、縄文人?弥生人?レッツ・チェック!

1.土偶を見ると動悸で呼吸困難になる。

2.骨付き肉が好き。

3.穀物は主食というよりもサラダ。

4.体臭はきついほうだと思う、あるいは、自覚してなくてもそういわれたことがある。

5.耳垢はサラサラではなくべっとり系。

6.たぬきか、きつねかいわれたら、たぬき顔。

7.外国で生活なんて考えられらない。

8.遠くで鳴ってる太鼓の音を聞くと、自分を呼んでいる気がして切なくなる。

9.ジャニーズやほそっこいアイドルにはなんの魅力も感じない。

10.太陽が憎い。でもその憎しみに訳しきれない快感が伴う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

yesの数が・・・・、

0:カンペキ弥生人

1~3:縄文人の血が30ccの弥生人

4~5:生きていくのがかなり大変。ハーフ。

6~8:あきらめて。あなたは弥生人ではないのだから。いいのそのままで。

9:弥生人の血が30ccの縄文人。

10:縄文人。洗脳された弥生人モードを早く脱して、自分の世界を切り開くべし。

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2009/06/10

刹那

刹那覚えずといへども

これを運びて止まざれば

命を終ふる期

たちまちに至る。

(徒然草:第108段)

ふらっとめくった雑誌に載っていた。

すごく思い悩んだとき

どうしていいかわからない気持ちのとき

入り口も出口も見失ったとき

「この一瞬一瞬が重なればいずれ死ぬときに至るのだから、今早まる必要はない。

生きることを許されている間は、謳歌しなければ。

どうすれば謳歌できるか?」

そうやって生きてた。

でもちょっと浅かった。

兼好法師は「刹那を運びて止まざれば」と言う。

「刹那に運ばれて」、ではない。

時間の大海原に生かされているけれど、今々を踏みしめて生きていくのは自分だ。

刹那は、指を弾く一瞬のなかに、65個入ってるというくらい、小さな時間の単位なんだそうな。でも、ゼロじゃない以上、確実に溜まっていってやがては時の終わりに行き着く。日頃意識しなくても、時は確実に過ぎていて、元には戻らない。それがある日振り向いたら、人生になっている。

人間には、時間を作ったり、動かしたりすることはできない。大海原を支配することはできない。

確実に過ぎる時に、身を任せるのでは、いたずらに時間を過ごすだけ。自分で自分を動かすのだ。一瞬一瞬を作るのだ。

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2009/06/08

イマジン

パソコンの調子がいよいよおかしい。しばらく更新がとだえたら、ああ、だめになったのね♪と思ってください。

身の回りにいる独身の友人何人かに

『誰かとつきあうにあたって、どんなことが重要?』

と訊ねてみた。

『金銭感覚』『歯の色』『生理的にうけつけない容姿じゃなければ可』『匂い』

などなど、いろいろ挙がったなかに、『想像力』って言った人がいた。

知り合いに、フィリピンのスモーキーマウンテンや、韓国や北方領土など、社会問題の焦点となるような地域に行って、写真や映像をとる人がいるのだが、その人のフィルムの中で、その人自身が現地のテレビ局取材班にカメラを向けられてインタビューされている映像があったのを思い出した。

「どうしてこのような問題がなくならないのだと思いますか?」

という問いに対し、彼はこう答えたのだ。

「想像力の欠如だと思います。」

「どういうことですか?」

「想像力って、相手の身になって考える、大切な力だと思うんです。遠い国のできごと、ああ俺には関係ない。ではなく、それが目の前で起こっているのだとか、自分だったらどうだろうとか、家族の身に起こっているとしたらとか想像する。よいことをするのも、ひどいことをするのも、人間同士。相手を思いやれる心がみんなにちょっとずつ芽生えたら、ひどいことはできないはず・・・。」

カメラマンの友人は、テレビの向こうで柔軟に語り続けていた。

相手の喜ぶ顔がみたくて、がんばれる。相手がなにを欲しがっているのかを一生懸命考える。相手の痛みを知ろうとする。声なき声を聞く。

想像力。ほとんどの人にある、身近な力。

どこまでほんとうに相手の身になって考えられるかは個人個人の能力によると思うけど、どうせわからないからとか、答えのないことだからとか、あきらめてはいけない。相手を思いやる気持ちがなければ、自分が存在する意味も薄れてしまう気がする。

想像力は、未来を生きるための原動力なんじゃないだろうか。

そしてふと思ったけど、想像と空想は違うのだろうか?

なんとなくのイメージとして、想像は他人に自分を絡ませてみるかんじ、空想は自分を解放するようなかんじがする。

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2009/06/04

はりきゅう

友人のすすめで、とあるはりきゅうクリニックへ行ってみました。

日本家屋の情緒漂う、新築平屋の一軒や。

広い待合室、広い治療室、広いトイレ。

ピアノや弦楽のクラシックCDが、丁寧な音質・音量で部屋を循環していました。

カウンセリングのような問診。

温度の通った施術。

オランウータンが頭をかきながら人間になってみました。というかんじのする先生。

敏感なのか、鈍感なのか、全ての応対がミクロの計算ずくなのかわからないけど、この際こまかいことはかんがえないで、今は全部この人にゆだねてみよう。自分がそんなふうに思えたのがとても貴重だったと、今になって気づきました。

気持ちが軽くなったのは、先生に心を開くことができたせいだろう。

なんか蓋開いた・・・のかもしれないっす。

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2009/06/02

THE Rabbits' Wedding / GARTH WILLIAMS

日本語訳版、『しろいうさぎとくろいうさぎ』(まつおかきょうこ 訳)福音館書店

ふらっと立ち寄った本屋さんの店頭で手にとって、一目ぼれ&一立ち読みぼれ。ひねりの何もない、ハッピィな絵本。二匹のうさぎの他愛ない純愛ストーリー。あまりの他愛のなさに、心が洗われたか、店頭でハンカチを取り出して拭うはめに。所持金があまりになかったため、その場は立ち去り、その次の機会に購入した。

それから1年ほどたった先日、ふらっと立ち寄った風変わりな喫茶店の壁にたった一冊、この原版(英語)が立てかけてあった。お願いして読ませてもらった。英語と日本語の距離の大きさに愕然とする。言葉の距離というより、心の距離。人と人の距離・・・この場合はうさぎとうさぎだけど・・・、心の立ち位置が違った。

英語版はダイナミック。主人公の領域、主張がはっきりしている。いろんなことが明確に限定されているようだけれど、最後の一行を読んだあとに残るのは、余韻、開放感。日本語版は、感情の出入り口が曖昧だ。くんずほぐれつして柔らかいまま物語が運ばれていくのに、なぜか読後感に広がりがない。はい、おしまい。みたいな。不思議だ。曖昧なようでいて、実は限定される言語なのだろうか。

じっくり読みたくて、さっそく原版をネット注文。数日後には原版が自宅にやってきた。目を通すと、おおげさじゃなく、ぜんぜん別の読み物だった。あらすじはもちろんいっしょだけど読後感が全然違う。訳がまずいわけではないと思う。日本語の『感じ』を取り入れたら、こうなるのだろう。なんというか・・・湿度の差?原版は、焚き火の木がぱりっ!と燃え尽きて、透明な煙が風にたなびいてる感じがするんだけど、日本語版は、なんか木がちゃんと燃えてないっていうか、燃え残りがぶすぶすゆって、細い紫煙が絶えない・・・って感じなのよね。

考え方、ものの見方、価値観、時間の流れ方など、自分がこうだと思い込んでいる世界は、とても小さい。じゃあ、考え方に新しい風を受け入れれば、もっと明快に、簡単に、いろんなことを彩りよく愛でることができるはず・・・。もちろん、それは英語を取り入れるとかじゃなくて、日本語でということ。自分は、日本人で、日本語大好きだもの。ていうか外国語で生活できませんもの。その言語独自の美が、日本語の場合、もしかしたら、消えかけてる(消されかけてる?)のかもしれない。

他所からの常識や、心と切り離された知識だけで、誰かが勝手に塗り替えてしまった日本語の色みたいなもの、ニュアンス、その生命力自体を、どうやってさがしにいけばよいのか?手がかりは自分の体のなかにあるはずだ。細胞に訊くのだ。もっと自由で、もっと色とりどりだったはずの自分の感情のデドコロへ。邂逅できたらいいな。素敵だな。

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